メインビジュアル:制作中
design: 出口壮夫
DRESS CIRCLE CINEMA CLUB の設立
『理由のない魅力を放つそれらについて』
ドレスサークル。かつての劇場で、一階上の桟敷席はそう呼ばれていました。“正装”した観客のための席。そこでは、舞台をみる観客の服もまた、みられていた。みることと「装う」ことが、ひとつの座席の名前の中で重なっている——この名前を、わたしたちは借りることにします。
映画の中で、物語にも象徴にも回収されないのに、なぜか目を掴んで離さない細部を見つけてしまった——そんな体験が、多くの人にあるのではないでしょうか。批評家のロラン・バルトは、1970年『カイエ・デュ・シネマ』誌に、それらを「鈍い意味」として記述しました。そして彼が具体例として指さしたのは、銀幕に映る老婆のスカーフの結び目、廷臣の厚化粧、布の襞。つまり、衣服とその周辺、まさに「装う」ことで発生する事象や痕跡。それらは広い意味で“ファッション”と呼んでしまってもいいのかもしれません。
それは鈍さゆえに、うまく言葉になりません。言葉になった瞬間、別のものに変わってしまう。時にはそれが野暮にもなるでしょう。それがファッションの持つ面白さであり、厄介さでもあります。だからこそ、(たまに一晩くらいは)“理由のない魅力を放つそれらについて”話してみる機会があっても良いのではないでしょうか。ゲストが選んだ映画を観てから、そのファッションを起点に話をしてみる。名前のなかったその感じに、新しい語彙を与えてみる。装うことは、誰もが逃れられない事柄。だからこそ、銀幕を通して自分ごととして重なる部分も多いはずです。その楽しみの蓄積を、この会は当てにしていきます。
夜の後半は、もう1本。シネマイユ=夜なべ上映です。映画館に、あなたの手仕事、ナイトワークスを持ち込んでみてください。編んでも、縫っても、繕ってもいい。みることと、着ることと、作ることが、ひとつの客席で重なる。これは、ミニシアターに作る新しいドレスサークル=“正装”の提案でもあり、映画館という場所を考える実験でもあります。
2024年から東京を拠点に活動する, ファッションデザイン/リサーチ プラクティス. わたしたちは衣服を《作ること》《着ること》の周辺に介在する, 身体性, 労働, 風土, 物語, 技術, 制度など, さまざまな状況を改めて捉え直しながら, 分野横断的にプロジェクトを展開し, リサーチを通して実践的なアプローチと製品開発へとつなげています. その中心にあるのは, 衣服の製作工程にわたしたちやユーザー自身の手がどのように関わりうるか?, という問いです.
対話の記録は開催後に掲載されます。
チケット情報は近日公開します。

Local Hero
ゲストが選んだ1本の映画を上映。上映後、映画の中の衣服やスタイルを入口に、対話を行います。
アメリカ・ヒューストンの大手石油会社に勤めるエリートサラリーマンのマッキンタイアは、石油コンビナート施設の建設予定地であるスコットランドのひなびた村に社命でやってくる。用地買収交渉は難航するかと思いきや村人たちは一攫千金の話に大乗り気。しかし海辺の小屋に暮らす老人ベンだけが唯一頑として首を縦に振らなかった。ベンが言うにはこの土地から見る星空が世界一なのだと。マッキンタイアは直接交渉のためベンの小屋へと乗り込むのだが…。(1983年/あらすじは仮テキスト)
金山木子(Coco Kanayama)— Esmeralda Serviced Department。(プロフィールは仮テキスト。確定稿に差し替えてください)

LENINGRAD COWBOYS GO AMERICA
TALK NONSENSEとMorc阿佐ヶ谷が選んだもう1本を、手を動かしながら観る時間。場内にはほのかな明かりを残します。編み物、繕いもの、縫いもの——あなたの夜なべをお持ちください。眠ってしまっても構いません。
世界一売れないバンド、レニングラード・カウボーイズ。凍死したベース弾きを棺桶ごと車の屋根にくくりつけ、アメリカ縦断ツアーへ。アキ・カウリスマキのロードムービー。(1989年/あらすじは仮テキスト)
「編み目」を意味するフランス語 maille と cinéma を組み合わせた言葉。編み物などの手仕事をしながら映画を観る上映形式で、パリのミニシアターを起点にヨーロッパ各地へ広がりつつある。手元が見えるよう、場内はほのかな明かりを残して上映される。編み物、繕いもの、縫いもの——あなたの夜なべをお持ちください。

